時間を無駄にする理由
①明確な目標がない
目標や優先順位がはっきりしていないと、何をすべきか迷ったり、無駄な行動を取りやすくなる。
②プロクラステネーション(先延ばし癖)
やらなければならないことに対する不安やストレス、面倒くささを避けたいという心理が働き、意図的に他のことに時間を使ってしまう。
③集中力の欠如
環境やデジタルデバイスの影響で、簡単に気が散りやすく、効率的に作業ができなくなることがある。
④疲れやストレス
心身が疲れていると、効率が落ち、余計なことに時間を費やしてしまうことが多くなる。
➄楽しさの追求
人は快楽を求めがちだ。たとえば、ソーシャルメディアやゲームに時間を費やすことは、短期的な満足感を得やすい一方で、結果的に時間の浪費と感じることがある。
⑥習慣や環境の影響
悪い習慣や無駄な時間を過ごすような環境が、知らず知らずのうちに時間を浪費させてしまう。
典型的な無駄な時間
①無意味な会議
明確な目的やアジェンダがない会議は、時間の浪費になりがち。特に、結論が出ないまま終わる会議はフラストレーションを感じることが多い。
②長時間の移動
交通渋滞や混雑した公共交通機関での長時間の移動は、ストレスが溜まりやすく、生産的な時間を奪われることが多い。
③ソーシャルメディアの無駄なスクロール
目的もなくソーシャルメディアを延々とスクロールすることは、時間を浪費する典型的な例。気づけば何時間も経っていることがある。
④無駄な待ち時間
病院や役所での長い待ち時間は、特に何もできずに過ごすことが多く、無駄に感じることが多い。
➄過度なテレビ視聴
特に興味のない番組をただ流し見することは、時間を有効に使っていないと感じることが多い。
⑥無駄なメールのやり取り
短く簡潔に済ませられる内容を、長々とメールでやり取りすることは、時間の無駄に感じることがある。
俺の場合
俺は人生において、かなりの時間を無駄にしてきたと思う。だから今では「何をやっても無駄だ」という気持ちが心の奥底まで蝕んでおり、こういった状態に陥っているのだ。俺が思うに、人が「時間を無駄にしたと感じる」原因の本質は、「成功体験の少なさ」だと思う。そして多くのつまらない人間(主に大人)が考える成功とはすなわち、「他者からの熱烈な承認を得ること」と「大金を得ること」くらいだ。
大抵の人間にとって、そんな成功は夢のまた夢だ。無論、俺もそんな成功とは縁遠い人生を送っている。だから頑張って何か行動を起こして、後なってそれを省みたところで、そこから「何かを得られた」という実感が全く湧かないのだ。よって我々の脳内では「何も得られなかった時間」=「無駄な時間」として解釈されるのだ。
命の価値と時間の価値
人生における時間とは、言うまでもなく貴重で、買い戻し不可能な有限の資産である。人生の目的とは大雑把に考えれば、この時間をできるだけ有意義に過ごし、不快を避け、快楽を探求するためである。だから人にとって「時間を無駄にする」という概念は、元来耐えがたい苦しみをもたらすのである。
しかしながら、この地球上にいる約80億の人間は、今日も「時間を無駄にしながら」生きている。いったい、どうやっているのだろう? 答えは簡単だ。彼ら自身が「時間を無駄にしていない」と思い込んでいるだけなのだ。彼らにはとうてい先のような成功は手にできない。だから彼らは「成功の閾値を下げた」のだ。
つまり彼らは、行動から得られるものが「小ちゃい小ちゃい他者からの承認」と「少額の報酬」であったとしても、それを「成功」だと見做したのである。それの「何百億倍もの成功」を得ている「何百億倍もの価値がある命」の存在にはできるだけ目を瞑り、今日もせっせと働きバチのように飛び回っては、ひと掬いの蜜を集めて満足しているのだ。
かく言う俺もその口だ。もっとも、貰える蜜なんて一滴でもいいから、苦痛は最小にしてくれよ? というタイプの人間である(詳しくはこの記事を参照)。そう言えば、ハチやアリのような社会性動物にも巣の中で待機して、いざというときに備えている「ひきこもり」タイプが2割程度いるらしいではないか……。なら俺もそのタイプだ、ということにしておこう……(実際には、この国が戦争になろうが、地球にエイリアンが攻めてこようが、絶対に戦地には赴かないけどな!)。
人生は存在証明のゲーム
そんな「無駄に慣れてしまった」俺たちは、これからどうすれば「本当の成功」を手にできるだろうか? 小さな成功を積み重ねていく? 一発逆転の大勝負に出る? はたまた「みんなそれぞれの成功を手にしている、みんなそのままでいい」などと言う綺麗ごとを信じて諦める? 「みんな自分のペースで成長している、無駄な時間なんてどこにもない」と嘘をついて過去を正当化する?
何が正解なのか……正直俺にも分からない……。ただ一つ言えることは、人生にも、歩んできた道のりにも、「意味を与えられるのは自分だけ」ってことだ。そして自分が成功できるかどうかってのは、常に「今の自分に懸かっている」ってこと。俺たちは皆いつでも、自分の過去を肯定するために頑張ってるんだ。だから、そう……人生とは、死ぬまで続く「存在証明のゲーム」だ!
お終いに
今日なぜこんな記事を書いているのかというと、以前取り扱ったこの問題のタイムリミットが迫ってきたからだ。このブログは未だ誰にも読んではもらえず、俺の存在証明にはなってはいない。そう……このまま続けていても「時間の無駄」なんじゃないかって……さすがに思い始めていてね……。
ブログはかなり俺の気質や能力に合っている活動ではあるし、できれば続けていきたいと思っている。だがしかし、このまま読者ゼロの状態でやっていけるのは、あと残り数日が限度だと自負している。このままグーグル様が頑なに、俺の記事をインデックスしてくれない(俺が世界の一員であることを認めてくれない)のであれば、俺はブログサービスをBloggerから別サービスに移行するしかなくなる。
するとまたブログの外観や構造を1から作り直さなければならないが、正直こなせる自信がない。もうあまり元気が残っていないんだ……。何をやっても報われない、何をやっても救われない。こんな不運な人生にはホトホト嫌気が差すよ……。
それでは架空の読者さん、最後まで読んでくれてありがとう。また次の記事で会おうぞ……。
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