俺は「安楽死」を全面的に肯定する

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初めに

 「安楽死」という概念は、長らく我々の社会ではタブー視されてきた。結果として、俺たちはロクに安楽死に対する議論も行うことなく、当たり前のように天命を全うすることを良しとして、最後は老衰したり病気になったりして苦しんで死ぬことを余儀なくされている。

 死についてネガティブな感情を抱くのは至極自然なことではあるが、それは傍から見て、死に際の人々があまりにも「苦しそう」だからである。もし眠るように逝くことができるのであれば、誰もそれを恐れたりもしないし、自分の最期を案じたりもしない。人々は何も心配せず、「時」が来るまで子供のころのように元気いっぱい遊び続けることだろう。

 昨今、世間でも安楽死についての議論が活発化しているように見受けられる。その多くは対立意見側への攻撃を有する稚拙なものであるが、人々は間違いなく「一歩先の未来」を見据えて踏み出そうとしているのだ。それに乗じてと、言っては何だが、人生のある時点以降ずっと安楽死肯定派である俺の考えを、ここにしたためておこうと思う。

安楽死の技術的可能性

 まず手始めに、「そもそも安楽死という概念は現実的に実現可能なのか?」という疑問を解いておこう。結論から言えば、安楽死は医学的・科学的観点から見て、すでに実現可能な技術である。つまり特定の薬物や手段を用いることで、痛みや苦しみを最小限に抑えながら人を死に至らせることが可能なのである。

 本当に「安楽」であるか、どの程度「安楽」であるかなどは主観的な問題なので原理的には分かり得ないが、人は少なくとも、生きているときに強い苦痛に襲われれば、悶え苦しんだりして暴れまわるはずである。そうでなければ、すでに意識を失っているものと解釈でき、文字通り傍から見て「眠るように生体活動が停止する」のであれば、主観的苦しみは限りなく小さく制御されていると言って差し支えないだろう。

 せっかくなので、もっと安楽死に対する理解を深めるためにも、実際に安楽死を提供する医療現場では、具体的にどういった手段が執られているかを見ていこう。

薬物による安楽死

 現在現場で用いられる手段はほとんどこの方法である。医学・薬理学の知識に基づいて確立された方法で、薬の投与量やタイミング、患者の体重や健康状態などを正確に管理することで、予測可能な形で安楽死を実施することができる。以下がその手法となる。

①鎮静薬(麻酔薬)による鎮静

 まず患者に「ミダゾラム(ベンゾジアゼピン系)」や「チオペンタール(バルビツール酸系)」といった鎮静薬を投与する。これにより患者は速やかに意識を失い、深い鎮静状態へと陥る。目的としては、患者を完全に無意識の状態にし、続く薬物投与による不快感や苦しみを感じさせないようするためである。なお、ここでいう投与とは全て「静脈注射」を意味する。静脈注射や薬物を速やかに全身に行き渡らせ、迅速に効果を発揮させるための最も確実な方法だ。

②筋肉弛緩薬による心肺機能の停止

 続いて「パンクロニウム」や「ロクロニウム」といった筋肉弛緩薬を投与する。筋肉弛緩薬はその名の通り筋肉を弛緩させるので、内臓も含めて全身の筋肉が収縮運動できなくなり、特に心臓による血流循環や肺による呼吸機能が停止することによって、間もなく患者は死を迎える。

③致死薬による最終的な死の誘導

 患者の死を確実なものとすべく、最後に「ペントバルビタール」や「セコバルビタール(バルビツール酸系の薬物)」といった非常に強力な鎮静・麻酔薬を投与し、患者の呼吸および心臓の機能を完全に停止させる。最終的には、医療従事者が適切な機器を用いて、患者の死を確認して完了となる。

気体吸引による安楽死

 酸素を含まない100%純粋な「窒素」、「ヘリウム」といった気体を吸引することでも、比較的苦痛が少なく「窒息死」できるとされている。人の体内では脳が最も酸素を使用しているので、低酸素濃度の空気を吸うとまず脳機能が低下することになる。我々が普段吸っている空気の酸素濃度は約21%であるが、これが16%(だいたい標高2100mの空気と同じ)以下にまで低下すると、頭痛、吐き気、集中力低下などの症状が現れてくる。

 そして12%(標高4700m程度)以下にまで低下すると、めまい、筋力低下、判断力の低下、嘔吐などの症状が現れ、とうとう6%(標高9700~9900m程度)以下になれば意識を失って失神・昏倒、呼吸停止、心臓停止、死亡といった致命的な症状となる。このように酸素欠乏に陥ると我々は意識を失い、身体機能を維持できなくなるのだ。特に酸素濃度6%以下の空気はひと呼吸で失神や呼吸停止、死亡といった致命的な症状が発生する場合がある。

その他の安楽死

 世界各国では他にも、静脈内注射や服用できる薬物を使用して、体内の代謝や心機能を段階的に停止させる方法が考案されている。このように、人類の叡智の最たるものである医学の分野では、人類を次なる段階(死をも制御可能な段階)へと推し進めようと、賢者たちにより日夜研究が行われているのである。

安楽死の倫理的問題

 よく安楽死は「倫理的に大問題であり、命の尊厳を無視した悪しき行為だ」という評価を受けることがある。はたしてそれは本当だろうか? そもそも「倫理」とは「人として守り行うべき道」や「道徳」、「モラル」という意味である。本当に安楽死は人として守り行うべき道、道徳、モラルに反しているのだろうか?

 俺たちは今日も他の命を食らって生きている。それは人として守り行うべき道だからか? 俺たちは今日もセックスして子孫を残している。それも人として守り行うべき道だからか? 俺たちは今日も一日の三分の一の時間を何もせず、ただ惰眠を貪っている。それすらも人として守り行うべき道だからか? ――違う。それらは単なる「欲求」に従っているにすぎない。倫理的に正しい活動など俺たちはほとんど行ってはいない。

 釣りや狩猟ってのはどうだ? 倫理的に問題ない? 捕まえた獲物を解体したり料理したりするのは? 全く問題ない? 食べるために生物を養殖するのは? 全然大丈夫? より美味しくなるように遺伝子操作したり大量に餌を与えて肥えさせるのは? オッケッケー? じゃあ当然、死にゆく家畜を解体場に誘導するためにスタンロッドを使うのにも賛成だよね? もちろんさ!

 森を伐採して無機質な建物を建設することは? モーマンタイ! 命なんて軽いかるい! 医薬品や化粧品の実験のために小動物を利用するのは? だから言ったろ、無・問・題! 不妊症に苦しむ多くの家族を救うために、自らの精子を「精子バンクのドナー提供」だと偽って、数々の患者の卵巣に移植して、自分の子孫を何十人・何百人と生みだすことは? だ……だいじょ……うぶ……。

 戦争はどうかな? 他国の領土を奪うために先住民を殺したり武器で脅したりして、屈服させるのは? だ……。――そうやって屈服させた先住民に暴力を振るったり虐待したりするのは? ……いじょ……。――効率よく人を殺せる武器を開発して、人や国に売って大金を得るのは? ……うっ……。――報復だとか戦争終結のためだとか言って、他国の領土に大量破壊兵器を投下して、広範囲の大地を焦土と化すのは? …………。はっ? ……ダイジョウブ……。

 ――大丈夫なわけねぇーだろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!

 お前たち人間が成す所業のどこに「命の尊厳を遵守」している点がある!? なぁ? 逆に教えてくれよ!? 所詮人は食って寝てセックスして、ときどき他人と関わって傷つけあって、たまに申し訳程度に癒し合ったりして、また食って寝てセックスして、たまに盲目的にカネを稼いで、それでまた食って寝てセックスして、たまに盲目的に酒やタバコや薬物を嗜んではまた、食って寝てセックスして食って寝てセックスして……何度も何度も何度も何度も繰り返しているにすぎない!

 食欲も性欲も睡眠欲も単なる欲求として受け入れられる世界で、「”死ぬ時”は自分で選びたい」とか「死ぬときに苦しみたくない」とか「生きているのが苦しくて辛いから、もう楽な方法で人生を終わらせたい」とかいう欲求を叶えようとすることのどこが非倫理的だ!?

 非倫理的行為というのは、自分の自尊心を守るために他人の心や身体を無暗に傷つけたり、自分の欲求を通すために他の命を無下に扱ったり、逆に他者の欲求や願望を無視して、相手の権利や選択の自由を奪うことである――「辛い、死にたい」と言っている人間に「辛いのはみんな同じだ。頑張って生きろ」と言うことである!

 一方で倫理的行為というのは、苦しんだり辛そうな人を病院に連れて行ったり、ハグして「大丈夫だよ」と慰めてあげたり、どうしてほしいかを親身になって聞いてあげたりして、場合によっては、その人の身体から生命維持装置を外してあげるような行いのことを言うのである(ぜひ、「ミリオンダラー・ベイビー」という尊厳死を描いた傑作映画を見てくれたまえ)!

 つまるところ倫理的行為とは、自身の潜在意識に問いかけたうえでなお、自分がされて嫌なことは決して他者に対してもしないこと(小学生のときに習うレベルの単純なこと)である! それ以外は全て非倫理的行為またはグレーゾーンである。

 全く、これまでにも言い尽くせぬほど悪逆非道の限りを尽くしてきた人類が、今さら「安楽死」程度の概念すら理解できず、あげく非倫理的だと一蹴するなど笑わせてくれる。安楽死を否定するのであれば、最低でも人生には苦痛よりも快楽の方が多いと、客観的かつ主観的に証明してからにしてくれたまえ。

お終いに

 これまでの話をまとめてみると、

①安楽死は技術的に可能である

②やり方は主に、薬物や窒息によって意識を失っているうちに生体活動を停止させるのである

③安楽死は倫理的行為、とは必ずしも言えないかもしれないが……

④人類の成す所業のほとんどがグレーゾーンにあるからして……

➄また倫理的行為とは「他者の望みを無下にしないこと」であるからして……

⑥もしその人が本当に「死」を望んでいて、かつそのための苦痛を充分に小さく制御できるのであれば……

⑦「安楽死」および「自殺ほう助」は、100%倫理的行為となる

 いやー、さすがの俺もコレを思いついたときはヤバイと思ったね。倫理的に(倫理的!)。ワンモアァァァァ(倫理的!)。俺たち人間はいつだって、原稿は出来てないけど、気持ちいい方を選ぶよ。当たり前の常識だなんて、クソくらえ! 度胸MAX、マンネリの日々さ! アスパラガァァス!

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