俺は「HSP」や「エンパス」気質を持っている

メンタルヘルスについて自分について

HSP(Highly Sensitive Person)

 HSPは「Highly Sensitive Person」の略で、日本語では「非常に敏感・繊細な人」という意味になる。この概念は、心理学者エレイン・アーロン(Elaine Aron)が1990年代に提唱され、他人や環境からの刺激に対して通常よりも敏感に反応する特性を持つ人々を指す。

主な特徴

①感覚処理の敏感さ

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚など、感覚全般において通常よりも敏感。たとえば、明るい光や大きな音、強い匂いなどに過剰に反応することがある。

②深い処理

情報を深く処理し、物事をじっくり考える傾向がある。そのため、意思決定に時間がかかることがある。

③共感性

他人の感情や気持ちを敏感に感じ取り、共感しやすい。また、他人のストレスや不安を自分のもののように感じることもある。

④感情の豊かさ

感情が豊かで、些細なことでも深い感情を抱きやすい。映画や音楽、芸術などに強く感動することが多い。

➄刺激に対する過剰反応

多くの刺激を一度に受けると、疲れやすく、ストレスを感じやすい。

HSPの理解と対処

 HSPは生まれつきの特性であり、病気や障害ではない。そのため、感受性の強さを理解し、自分に合った環境や生活スタイルを見つけることが大切だ。HSPの人は、自分の限界を知り、適度な休息やリラックス方法を取り入れることが必要である。
 

エンパス(Empath)

 エンパスはHSPと似ている部分もあるが、さらに他人の感情やエネルギーを「自分のことのように」感じ取る特性を持つ人々を指す。エンパスは、周囲の人々の感情やエネルギーに対して非常に敏感で、それが自分自身の感情に影響を与えることが多い。

主な特徴

①他人の感情を強く感じ取る

エンパスは、他人の感情を非常に強く感じ、自分の感情と区別がつかなくなることがある。たとえば、他人が悲しいとき、自分も同じように悲しさを感じることがある。

②エネルギーの吸収

周囲のエネルギーを無意識のうちに吸収しやすい。そのため、ネガティブなエネルギーが多い場所では、気分が沈んだり、疲れやすくなることがある。

③直感力が高い

人の心の動きや状況を直感的に察知する能力が高いとされている。この直感は、他人の隠れた感情や意図を理解するのに役立つことが多い。

④自然とのつながり

自然の中にいると落ち着きを感じたり、動物との交流に癒しを感じたりすることが多い。

➄他者の癒し手

エンパスは、他人を助けたいという強い欲求を持ち、しばしばカウンセリングやヒーリングなど、人を癒す役割を担うことがある。

エンパスの理解と対処

 エンパスの人はまず、自分の感情と他人の感情を区別することが重要。自分がエンパスであることを理解し、自分のエネルギーを保護するために、適切な境界を設けることが大切だ。また、自己ケアやリフレクションを通じて、他人の影響を受けすぎないようにすることも必要である。
 

俺の場合

俺は暴力が苦手

 俺はエンパスと呼べるほどではないかもしれないが、間違いなくHSP気質を持っている。昔から人一倍怖がりだったし、実際今でも暴力的な映像やニュースが苦手である。つい最近も、食事中に観ていたドラマの暴力シーンで気分が悪くなってしまい、気絶寸前のところまで行ってギリギリで意識を繋ぎとめたくらいだ。
 というのも、気絶しかけたのは俺の人生において、これで二回目のことだった。一回目は映画館で「マット・デイモン」主演のSF映画「オデッセイ(The Martian)」を観たときだった。この作品は「学者たちが火星探査に向かい、現地に降り立ったのもつかの間、砂嵐に巻き込まれて主人公以外の調査隊が全滅し、主人公一人が火星でサバイバルする」というあらすじの、一般向けの映画である。
 
 砂嵐で主人公は生き残ったものの、破損した船体の破片が腹部に突き刺さる大怪我を負ってしまう。主人公は破片を自分で抜いて、応急処置を施そうとするのだが、俺はその破片を抜くシーンの途中で、意識が遠のいていく感覚に襲われた。主人公の置かれている困難な状況や味わっている身体的苦痛、これから適切な処置を行わなければ死んでしまうという切迫感、この惑星には他に誰一人として人間はおらず、誰のサポートも受けられないという孤独感。それら全てが自分のことのように感じられ、全身が恐怖に支配されたのである。
 俺は辛くも気絶を免れ(すんなり気絶できた方が楽なのだろうか?)、一人で劇場を出て、外の空気を吸いに行った。映画館の前で倒れ込み、深呼吸を繰り返すなか、全身から大量の汗が噴き出すのが分かった。顔の汗が顎先から滴り落ちる度に、頭が冷やされて、まともな感覚・気分を取り戻していくのを感じた。近所の薬局でスポドリを買い、それを飲んでようやく、「自分は生きている、大丈夫だ」という実感を得られた。
 
 他にも友達に誘われて観に行った「LOGAN/ローガン」も、そのあまりの暴力的描写の多さに気分が悪くなり、途中で退席してしまった映画の一つだ。ローガンはX-MENシリーズの人気キャラクター「ウルヴァリン」を主役にした映画シリーズの最終章で、俺はそれまでX-MENシリーズを全作観ていて、大好きだったからこそ本作も観に行ったわけだが、それが他の作品とは違いR18指定されていることに気付かなかったのだ。
 また4DXで観たのも悪かった。激しい戦闘シーンに合わせて、座席が揺れ動いたりするわけだから、単純に乗り物酔いも誘発されてしまったのだ。結局俺は友達に一言伝えて、劇場を出て気分を落ち着かせてから、スマホで本作のネタバレ記事を読んで結末だけ知り、「もうR指定作は嫌だな」と痛感したのであった(「キックアス」や「キングスマン」でも思ったのに、またやってしまったのだ)。今でもその友達には本当に申し訳ないことをしたと思う。
 
 ともあれ、大抵怖かったり苦しかったりするシーンは、手で目を覆ったり目を細めたりして、できるだけ視覚情報を遮断・制限し、何とか乗り切ってきた人生だったので、「気絶寸前」まで行ったのは、今回のドラマと、そのオデッセイという映画だけなのだ。ただ、久しぶりにあの感覚(全身が恐怖に覆われて、暗闇に落ちていくような感覚)を味わったことで、自分の胸の内をどこかで発信・共有し、「今一度生き方を見直さなければならないな」と思い立ったからこそ、この記事を書くに至ったわけだ。
 

芸術と暴力

 俺は元来芸術が大好きで、昔は深く感動する作品に次々と出会えたものだが、現在ではそういった経験も少なくなってきた。温かい気持ちや優しい気持ち、勇気が溢れてくるような気持ちになりたくて芸術を嗜好しているのに、昨今そういうメッセージを伝えてくれる作品が少なくなったと思う一方、俺自身がそういうメッセージを受け取る力も衰えてきたと思う。
 であるからか、ポジティブな要素よりもネガティブな要素が相対的に勝ってしまい、芸術に癒されるよりも傷つけられることが多くなった。特に昨今は、「暴力」に対する世間の目が寛容になりすぎているきらいがある。「指が千切れた? だから何?」「耳が千切れた? だから何?」「所詮は作り物、フィクション、演技だよ」などと言って、怯えている人々を尻目に、暴力を娯楽として迎合する人々が多くなったのだ。
 「心が弱いのはそいつ自身の責任」そういった言葉で突き放されるのは、あまりにも辛すぎる。その作品が悲劇だろうと、喜劇だろうと、物語に抑揚をつけるために悲劇的なシーンを描くのは当然の話だと理解している。しかしその過程で必要以上に、誰かがゴミのように扱われたり、命を易々と奪われたり、存在を弄ばれたりするのは嫌なのである。嫌なものは嫌なのである。
 

まとめ

・HSPやエンパスは精神病ではなく、その人が生来持っている心の「気質」である。だから自分を無理やり矯正したり、治したりする必要はない。「あなたはあなたであっていい」のだ。
・ただ、あなたは自分を守るためにも生活を工夫する必要がある。自分がどんなときに苦痛を感じるのかを理解して、原因を予め避けたり、いつでも避けられる準備をしておくことが大切だ。
・また、あなたは決して劣っているわけではない。むしろ他人の心を理解してあげられる能力を持っているわけだから、見方によっては優れているとも言えるのだ。自信を持って生きていこう。
・あなたの力が世界には必要だ。もしこの世界から「繊細さ」「思いやり」「同情心」などがなくなってしまえば、この世界はディストピアと化していたに違いない。あるいはすぐに滅亡してしまっていたかもしれない。あなたは世界に「優しさ」をもたらせる「かけがえのない存在」である。
 それでは今回の記事はここまでだ。最後まで読んでくれてありがとう。また次の記事で会おう。

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