
第十九章 – 青春時代② 高校生活 Ep.7
エリスの高校生活⑨ ハッピー・プロモーションズ!
時は進んで2040/10/19(金)の午後4時半。その日モーザー学校では『Promotions』と呼ばれる学園祭が催されていた。生徒の新入学や学年進級(プロモーション)を祝う内部イベントであり、日本人が想像するような『模擬店ひしめき合う盛大な学園祭』ではないし、また地域住民に学校の魅力を発信するためのイベントでもないのだが(それは4月の春祭り)、生徒たちが授業や自主制作で取り組んだプロジェクトを自由に発表・表現できるような、景気づけの楽しい催しには違いなかった。
ちょうど今、体育館に仮設された舞台上では、高等部3年生によるダンスパフォーマンスが行われている。その前が中等部3年生による演劇だった。みんな才能豊かで一生懸命で、観客の生徒や教員たちはご満悦の様子である。そして次に出番を控えていたのが、我らがエリスたちのバンド『ヴァルキュリア・セレナード』であった。4週間弱練習を積んだ彼らは、何とか今度のイベントに飛び入りで参加することができ、念願だった初の『ラグナロク』を迎えることができたのだ。
「いよいよだね?」エミリーが武者震いしながら、舞台袖にいる他の仲間たちに声をかける。エリスだけが「うん……」と答えるも、彼の身体には明らかに武者震いではない、緊張から来る純粋な震えが走っていた。も、もし失敗しちゃったら、どうしよう……あぁダメだ。失敗するイメージしか見えない――。気づけば、彼の震える左手をエミリーとソフィーの手が、右手をキアラとソユルの手が受け止めていた。
「ワタクシを巻き込んでおいて、そのザマは何ですのエリス?」と、あえて挑発的な態度をとるソフィー。彼女自身もはや、自分が『巻き込まれた』などとは微塵も思っていなかったが、今はツンツンした言葉で煽る方が、エリスの緊張を和らげられると考えたのである。
「大丈夫だいじょーぶ! 稽古は決して裏切らなぁ~い!」空手家らしいお決まりのセリフで勇気づけるエミリー。彼女にとってはこの程度のプレッシャー、空手の試合や型の審査に比べれば屁のかっぱだった。
「そうですよ! それに……私がいじめっ子たちを見返すの、手伝ってくれるんでしたよね?」穏やかな表情で問いかけて、あの日の約束を思い出させるソユル。心配いらないよエリス、だって私たちは――。
「――アタイらは超絶イケてる!」キアラが高らかに宣言する。「臆する必要ナッシング! 今日この時こそが伝説の幕開けなのさ!」
両方の手から腕を伝い、四人の気持ちが流れ込んでくる。身体が芯からポカポカしてきて、不思議と不安が勇気へと変わっていくのが分かった。そうだ、僕は独りじゃない……四人の最高の仲間たちが付いているんだ!
『僕ちゃんのことも忘れるなよな! 今日は僕ちゃんの魅惑のヴォイス、轟かせちゃうから覚悟しとけよ?』by フロスティ
そうそう、もちろんフロスティもいるよね! ちゃんと覚えてるよ! こんなにも恵まれた環境にいて、僕は何を怖がっていたんだろう……。失敗したっていいんだ! 今の僕たちが持てる力、その全部を出し尽くせばいいんだ!
「みんな、ありがとう……僕はもう大丈夫っ」エリスが決然と微笑み、両手をゆっくり振ると、四人も頷いて彼の手を解放する。
ちょうど前のパフォーマンスが終わったようだ。音楽がやみ拍手喝采が起きてから、司会の男性が話し始める。
「いや~最上級生によるダンスパフォーマンス、実に見応えある素晴らしいステージでした! それでは次のパフォーマンスの準備に移りますので、少々お待ちください」舞台が暗転して、上級生たちがハケてくる。
「よし、行こう――」エリスがそう呟くと同時に、メンバーたちは各々の武器を持って決戦の舞台へと上がっていく。マイク、アンプ、エフェクター、スタンド、キーボード、ドラムなどを所定の位置に設置し、自分たちも配置に着いては、手際よく音出しテストを行っていく。
「何だあれ!」「うぉ、ホントだ! ギターが光ってる!」ソユルのギター『Ibanez RG1XXV』は蓄光塗料を使っているので、暗がりで蛍のような緑色の光を放つのだ。それを見た観客たちが口々に驚きの声を上げる。「あれ持ってるのファン・ソユルじゃね?」「ホントだ。最近入ったアジア系の子じゃん」
会場のざわつきがどんなに緊迫感を煽ろうと、もう彼らの意識は己が紡ぎ出す音だけに向けられていた。「あ、あ、マイクテスト」ベースの音出しを終えたエリスが、今度は口元のマイクの音量を確認する。よしっ、感度良好! みんなはどうかな――。彼が振り向くと、メンバーたちが親指を立てて応える。よし、みんなも――。
「ОKですわ――キーンッ」思いがけず声で返事してしまったソフィーの声が、爆音で流れ、ハウリングが起こる。実は彼女もコーラスやハモリとして歌うことになったのだが、よほどキーボードに集中してたのだろう、うっかり自分の口元にもマイクがあることを忘れていたようだ。「あら、ごめんあそばせ」会場に和やかな笑いが起こる。彼女がアンプ『Roland KC-600』のCH1の音量を絞ったところで、ついに全員の準備が整ったようだ。エリスが司会者に目で合図する。
司会者「お待たせしました。それでは次のステージへと参りましょう! 約1カ月前、12年生(高等部1年)を中心に結成された、新進気鋭のメタル・バンドによるライヴパフォーマンスです……ご紹介しましょう! 『ヴァルキュリア・セレナード』!」舞台が明転し、会場のざわめきが大きくなる。
な、何じゃコイツらー! 観客は未だかつて、こんなにもチグハグな集団を見たことがなかった。人種も性別も服装も、使っている楽器のテイストもバラバラ。五人のうち一人は黒人(道着&ハチマキ装着)、一人はアジア人(ブレザー&メガネ装着)、三人は白人(三者三様)で、その白人も一人はフリフリワンピで着飾るフランスの淑女ふう女子、一人はゴリゴリのパンクファッションで髪を赤く染めているイタリア系女子、一人はイギリスだか北欧だかの血を感じさせつつコスプレメイドみたいな衣装に身を包んだ可愛すぎる男子なのだ。
あぁエリィー……何て格好を……。観客席にいたニコラが頭を抱えている。昔彼が言った『もうそんな格好するなよな』という忠告は、完全に無視されてしまったかたちである。まぁいいさ……これまでだって似たような服着てたし、正直ブラ着け始めたときからこうなる予感はしてたんだ……(トホホ)。
同じくライヴを観に来ていたダニエルは、この日のために調達した望遠レンズをスマホに装着しては、エリスの晴れ姿? を激写していた。あぁぁごめんよエリスゥゥ……これじゃ僕ヘンタイみたいだ……でも無理! とても撮らずにはいられないよ! あぁ何て美し可愛いんだ――。
「はじめまして、僕たちヴァルキュリア・セレナードっていいます」エリスがヴォーカルらしくMCを務める。「今日はこの1ヵ月、僕たちが頑張って練習してきた成果を、この場をお借りして皆さんに披露したいと思います。それでは、演奏を始めたいと思います」か、堅い……。会場にいた誰もが、このメタル・バンドらしからぬ導入の仕方に困惑する。だ、大丈夫だろうか? 見ている観客の方が不安になり、伴って静まり返る会場。
[Nightwish – Storytime]
そして『Storytime』の演奏が始まった。ソフィーがイントロの鐘とストリングスの音を、左右の手で同時に弾いていく。五小節目に入って、他のメンバーの音が同時に加わる。「ジャジャーンッ!」そのヘヴィーな音が会場を震撼させる。「ジャジャーンッ!」それからエリス、エミリー、ソフィーのパートになり、完璧に支配した会場の空気を感じつつ、観客に高揚の余韻を与えていく。
十六小節目にまた全員が一つになり、サーカス劇場が幕を開ける――十七小節からメインリフに突入し、両翼でキアラとソユルがヘドバンし始める。う、ウソだろ……ファン・ソユル……ホントに同一人物かよ……。会場にいた誰もが――いじめっ子もそうじゃない子も――、別人のように変容したソユルのパフォーマンスに圧倒される。
イントロが終わり、エリスの透き通る歌声が流風となって、会場を駆け巡る。
It was the night before,(前の晩のことだった)
When all through the world,(世界中に静けさが満ちて)
No words, no dreams, then one day…(言葉も夢もなく、けれどある日…)
A writer by a fire,(焚き火の傍のひとりの作家が)
Imagined all Gaia,(ガイア全体を思い描き)
Took a journey into a child-man’s heart.(子供心を忘れぬ男のなかへと旅立った)
随所で加わるソフィーの流風。風は重なりハーモニーとなる。
A painter on the shore,(海辺の画家は)
Imagined all the world,(手の平の雪の結晶のなかに)
Within a snowflake on his palm.(世界の全てを想像した)
Unframed by poetry,(詩に縛られず)
A canvas of awe,(畏敬のキャンバスに描かれた)
Planet Earth falling back into the stars.(星の中へと落ちていく地球)
迎える最初のコーラス。微かにそよぐキアラとソユルの風も合わさり、流風は清風へと変わる。
I am the voice of Never Never Land,(我こそは有るはずの無いネヴァーランドの声)
The innocence, the dreams of every man.(あらゆる人のなかにある無垢と夢)
I am the empty crib of Peter Pan,(我こそはピーターパンの空っぽの揺りかご)
A silent kite against the blue, blue sky.(青い青い空に浮かぶ静かな凧)
Every chimney, every moonlit sight,(それぞれの煙突、月明かりに照らされた光景)
I am the story that will read you real.(我こそは汝に現実を伝えるための物語)
Every memory that you hold dear.(汝が大事そうに抱く全記憶なのだ)
第一コーラスを終え、一旦の間奏……そして第二ヴァース(Verse)へと突入する。エリスたちの集中力は極限状態に達しており、身体は自動的に稼働し、ここまでノーミスで来ていた。知らなかった……僕たちこんなに本番に強いタイプだったんだ……元々上手なキアラたちとは違って、僕とエミリーは練習中ミスばかりしてたのに……あぁ何て気持ちいんだろう、幸せなんだろう……この時が永遠に続けばいいのに――。
第二コーラスまでも卒なくこなしたヴァルキュリア・セレナード。メインの間奏に入って小休止を迎えたソフィー以外の四人は、そのままバック・コーラスを歌いながら彼女のピアノを援護する。「Ah~Ah~Ah~Ah~Ahh~Ah~Ahh~♪」エミリーのドラムが戦線復帰し、もうワンフレーズ繰り返したところで、素早くティンパニの音源へと切り替えたソフィーが、「ダンッ、ダダダンッ」と広大なコンサートホールを感じさせる打音を刻んでいく。
かと思えばすぐさま彼女は、ストリングスの音へと移って一人で壮大なアンサンブルを奏でるのだ。いくつもの背景音を繋ぎ合わせる彼女は、間違いなくこの曲における一番の功労者だった。当然ですわ! ワタクシはプリンセスなのですからっ! さぁ庶民の皆さん、ワタクシの華麗な鍵盤捌きに酔いしれるがいいですわ――。
全員が戻って、最終コーラス前のプリコーラスを合唱する。
Neverland! Innocence! Dreams of every man! Ahh~Ah~Ah~♪
Neverland! Innocence! Every man! Peter Pan!
大団円まで秒読みとなる。
Ahh~Ahh~Ahh~Ahh~Ahhh~♪
そして迎える最終コーラス。サビを二回歌ってから三回目のところでエリスが、クライマックスの無詞唱法パートを悠々と歌い上げる。
Ohh~Oh~Oh~Oh~Oh~Ohhhh~Oh~Oh~Ohh~Ohh~Oh~Ohhh~♪
煌びやかにリフレインするバック・コーラス。からのフィニッシュを「ジャジャーンッ!」と決めたところで、音がやみ観客の拍手が聞こえてくるかと思いきや、そのままシームレスに二曲目に突入するヴァルキュリア・セレナード。そう実のところ彼らは、存外Storytimeが早く形になったこともあって、別の曲にも取り組んでいたのである。今度の曲は『Unleash the Archers』の『Abyss』。暴れ足りないギタリストたちの意向を汲んだ選曲だった。さぁ、満足しようぜ――。
[Unleash the Archers – Abyss]
パワーパワーパワー! ただひたすらに荘厳なイントロが、この舞台という名の玉座に腰掛け君臨している。絶対的深淵の帝王。脚を組んで頬杖を突き、欠伸することすら辞さない余裕の表情。帝王が不敵な笑みを浮かべるとき、家臣たちの喝采が轟くのだ――エリスとソフィーのシャウトが空を裂く。
OhhhhhhhhhhhhhhhhOh~!!!!!
両翼のギターがテクニカルなリフを軽々と決めていく。それと同時に光が一閃したかと思えば、突如として観客の視界は奪われ、空間が捻じ曲がり始める。驚きと戸惑いのなか第二の絶叫が響く。
EeyaaaaaaaaaaaaahAaaaaaaaaaaaaaahAaahAaaaaaahAaahAaaaaaaah!!!!!
二人が超絶ロングトーンを終えた後、ソフィーがリードシンセで未知の言語の話し始める。気づけば観客はサーカスから全く別の場所、別の星、別の空間へと転移されていた。一瞬のうちに……超越する意識。上の者たちは歓喜の雄叫びを上げる。
Hai! Hai! Hai! Hai! Hai!! Hai!!
第一ヴァースが始まる。
Open my eyes in a daze(ぼんやりと目が開いた)
How long has it been? Am I so out of place?(どれくらい経ったんだ? この異質な空間はいったい?)
Warmth I can no longer feel(もはや感じること叶わぬ温もり)
My mountain is gone, I’m surrounded by steel(故郷の山は消え、鋼鉄に囲まれている)
The strangest of structures arises ahead(前方には極めて奇妙な建造物がそびえる)
Seems to be held up by nothing(何にも支えられていないように見えるが)
Where have I gone, do I dream?(私はどこに来てしまったんだ? これは夢なのか?)
How can the stars be all I can see?(なぜ目の前に見えるのは星々だけなんだ?)
Wowohoh~! Wowohoh~! Wowohoh~! Wowohoh~!
不安に駆られた旅人がどんなに嘆き叫んでも、助けはやってこない。勇気を振り絞って立ち上がる旅人は、次のプリコーラスへと進行していく。
Dark embrace(暗闇だけが私を抱いている)
Has someone awakened me? Please show your face(私を起こした者がいる? なら姿を見せてくれ)
Cold and quiet space(何て冷たく静かな空間だ)
そして第一コーラスへ。旅人の記憶。かつて宇宙を旅していたころの記憶。そこにあった好奇心が、今となって懐かしい。
Out so far beyond stars and the sun(遥か彼方、星と太陽を超えて)
Filling my heart up with wonder, unknown(私の心を未知の驚きが満たしていく)
Now, to the edge of imagination(いざ行かん、想像力の果てへと)
Open my eyes to phenomenon, and hope(そしてそこにある事象と希望へと目を開くんだ)
一番星が過ぎ去り二番星に到達する。広大な宇宙のど真ん中。観客たちはそこで繰り広げられる無限の営みに、ただただ魅了されていた。マジかよこいつら……1ヵ月程度の練習でこれとか、上手すぎだろ……それにエリスのあの歌声……普段話してるときの印象とは全くの別物だ――。
二番星に別れを告げ、三番星へと繋がるワープゲート――ブリッジ(Bridge)――に侵入していく宇宙船。ここは磁気嵐や重力波の乱れが激しく、無傷での突破は困難を極める――エリスの歌声が一度裏返り、最後の高音が掠れて出ない! し、しまった……ついに失敗しちゃっ――。
任せてエリス! ここからは私がブチかます――。引き継がれる音。始まる壮絶なギターソロ。ソユルが鬱屈した感情を解き放ち、全身全霊で世界へと訴えかける。ブチ響けぇぇぇぇぇ!! これが私だぁぁぁぁぁ!! これこそが私がお父さんから受け継いだ、魂の絶唱だぁぁぁぁぁ!! Ibanez RG1XXVが黄緑色のオーラを纏い、迷える魂たちを天界へと浄化していく。
最高だねソユル! そいじゃ残りの魂はアタイが狩るよぉ――。続けてギターソロを引き継ぐキアラ。死神の大鎌が首をもたげ、下界に広がる麦畑をバッサバッサと薙ぎ払っていく。Hello World!! アタイらが『ヴァルキュリア・セレナード』だ! 今回は時間の都合でカヴァー曲のみだが、4月の春祭りはオリジナルで行くんでヨロシク!! 最後にキアラとソユルが共鳴して、アレンジだらけのギターソロが収束する。
幾ばくかの余韻の後、始まるラスサビ。エリスは先ほどのミスを埋め合わせるかのように、激しく、それでいて丁寧に、繊細に、言葉と旋律を空間へと返していく。あぁ終わっちゃう……この楽しい時間が終わっちゃうっ――。満を持して光来する、未来を切り開く最終究極超越ロングトーン・ヴォイス。
WowohohohohohOhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhWowohohhhhhhhhhhhOhhhhhOhOhhhhhhh,
WowohhhhhhhhhhhhhOhhhhhhhhhhhhhOhOhhhhhhhhhhhOh-Oh-OhOhhhhhOh-OhhhOhhhOoo…
己の肺活量、その限界を引き出したエリス。酸欠で途切れそうになる意識を辛くも繋ぎ止め、マイクスタンドに身を預けては荒く呼吸を繰り返す。
彼の声とクロスフェードするように、聞こえ始めるキンキンとした倍音。曲の終焉に際してキアラが、Schecter Hellraiserの『S(サスティニアック・ピックアップ)』を起動し、ナチュラル・ハーモニクスを一つ置き土産していたのだ。「キュィィィィィィィイィィィィィィィン」永遠に伸び続ける倍音。10秒、20秒、30秒と続いていき、33秒経った時点で頃合いだと判断した彼女が、自らの手で創世した永遠を終わらせた。沈黙に包まれる場内……。
「えっと……僕たちの演奏は以上になります」エリスがしゃがれ声でMCするも、誰も何も言ってくれない。まるでみんな戦死した屍、魂の抜け殻のようだ。「ご清聴ありがとうございました」彼がペコリとお辞儀して、機材を片付けようかと後ろを向いたとき、ようやくヴァルハラから生還した魂たちが嘆美と称賛の声を上げる。
「うぉぉぉぉぉぉ! よかったぞヴァルキュリアァァァ!」
「何か知らんが心が震えたぞぉぉぉぉ!」
「最高だったよぉぉぉぉ! 春祭りも出てねぇぇぇぇ!」
思わず喜びの笑みが零れるエリスたち五人。やったー! 初ライヴは大成功だ! 僕たちの音楽がみんなに心に届いたんだぁー! 幸せが溢れ出したエリスは、客席に向き直ってメロイック・サインを高々と掲げるのだった。
「ハッピー・プロモーションズ!!」
第二十章 – 青春時代② 高校生活 Ep.8
番外編④ 学園祭の反響とエリスの心境
あの秋の日の文化祭を機に、エリスたち『ヴァルキュリア・セレナード』のメンバーは一躍、学校の有名人になった。彼らが廊下を歩けば、みんながメロイック・サインを向けて賛辞を送ってくれたし、ソユルもあれ以来、誰からも『ちょっかい』を出されていないようだった。エリスはそのことがすごく嬉しかったし、バンドを始めて心から良かったと思う反面、予想外の反響があったことには困惑も感じていた――。
――と言うのも、あの日の演奏風景を録画していた生徒の一人が、その動画を無許可でネットにアップしてしまい、学校で少し問題になったのだ。『Insane School Metal Band Performance!!!(ヤバすぎるスクール・メタル・バンドの実演!)』と題されたその動画は、アップされてから1週間で再生回数10万を超え、多くのコメントが寄せられると同時に、個人情報への憶測が飛び交った。下記はその一部を抜粋したものである。
『ギター二人うめぇぇぇぇぇ!』
⇒『いや、技術面ではキーボードの子が最強だろ』
⇒『戦闘力ではドラムの子。だってベスト・キッドみたいな格好してるし(笑)』
⇒『でも一番”ヤバい(insane)”のはヴォーカルの子の可愛さ』
⇒『思った。とてもこの世のものとは……会って話してみたいな……(ニヤけた絵文字)』
⇒『おっと……へ、ヘンタイ警報発令!(Uh-oh…W-we got a weirdo alert!)』
⇒『逃げろ! ヴォーカルちゃん! 逃げろ!(Run! Vocal girl! Run!)』
⇒『通報しました(Reported.)』
⇒『FBIだ!ドアを開けろ!(FBI! Open up!)』
『これどこの学校? フランス?』
⇒『うーんたぶんフランス。もしくはスイスのフランス語圏?』
⇒『ベルギーとかカナダのケベック州の可能性も』
⇒『私フランス人だけど、この子の喋り方は少しスイス訛りかも』
⇒『貴重な意見あり。じゃあジュネーヴかローザンヌの学校かもね』
⇒『学校側が早くこの動画を見つけることを祈るわ……』
最後のコメント主の願いが通じてか否か、幸い動画の存在はすぐに学校側にも認知され、撮影されたアングルなどからアップした生徒も特定された。そして速やかに削除命令が出されては、動画が削除され事なきを得たのだ。ちなみにダニエルも当日動画を撮影していたが、当然犯人は彼ではない。彼の動画はもっと高画質で、彼自身にのみ観賞を許されたお宝になったのだ。
エリスはこの動画騒動のことは、人づてに聞いて後から知ったのだが、とてもみんなが言うように『レコード会社の人の目に留まってデビューできるかも!』とか『プチ・セレブじゃん! 道端でサイン求められたりして?』とかいう気分にはなれなかった。今はただ動画が削除されたことに安堵し、これから家族や友達に迷惑がかからないことを祈るのみだった。
バンド活動は最高に楽しい。でもそれが原因で平穏な日常が脅かされるのは嫌だな、と彼は思っていた。彼としてはバンドは身近な人との交流や自己表現のために始めたことであり、将来プロとして活躍したいかはまた別の問題だった。恐らくキアラやソユルはそのつもりだろうし、きっとそうなれるだけの情熱と才能を持っているのだろうが、はたして自分はどうだろうかと自問したとき、出てくる答えは『まだ分からない』だけだった。
そう、彼の音楽は始ったばかりだ。目下自分たちが目指すべき舞台は、来年の4月にある次の学校行事『春祭り』であり、キアラがそこで『最低でも二つのオリジナル曲』をプレイすると言っている以上、今は脇目も振らず作曲作業に打ち込むしかないのである。とりあえず持ち分としてはエリスが1曲、キアラが1曲を担当することになったが、二人とも曲なんて創ったことなかったので、作業が難航することは目に見えていた。
迫りくる期限へのプレッシャーが、刻一刻と二人の肩にのしかかる! 彼らは無事、曲を完成させられるのだろう?
エリスの高校休日③ オリジナル曲を制作せよ!
とある土曜日の昼下がり。エリスは自室の机に向かってベースを構えながら、白紙の紙と睨めっこしていた。とうとう彼は作曲作業をスタートさせたのである。よーし、頑張るぞぉ~! そう意気込んでみたはいいが、10分、15分……そして30分経っても、一向に良いアイディアは浮かんでこない。
歌詞はストーリー仕立てにした方がいい? あの大好きなバンドたちみたいに、大仰なファンタジー小説みたいにすべき? そしてそれはフランス語で書くべき? 英語で書くべき? いや、そもそも音楽ってどうやって創るの? 浮かんでくるのは、そんな疑問ばかり……はてなマークが脳内で分裂増殖し、そのうち頭が爆発するんじゃないかと思えるほどだった。
だ、ダメだ……やっぱり僕みたいな素人が簡単に歌なんか創れっこないんだ――。そう思って作業を中断し、ベッドにベースを預けようとした彼の耳に、一筋の声が届いた。
『なぁに難しく考えてんのさ! エリスらしくないぞ!』
「ふ、フロスティ?」戸惑いながらベースを見つめるエリス。「今の……君の声なの?」返事はない……。これまで自分の楽器に『フロスティ』なる徒名をつけては、さも生き物かのように接してきた彼だったが、当然ながらフロスティの声が本当に聞こえているわけではなかった。そんな妖精がいたらな~、友達になりたいな~という願望が、彼にそういった意識的な妄想行動をとらせていたのである。
にもかかわらず、今さっき確かに聞こえた声(ちなみにフロスティはライオンのぬいぐるみに入った改造魂魄ちゃんみたいな声をしている)。あれも妄想の産物だとするなら、いよいよもって頭が爆発する寸前なのかもしれないが、純粋なエリスはすんなりこう考えることができた。『ありがとう、フロスティ。きっと僕が自分らしさを見失いそうになってたから、教えてくれたんだね? 君の言う通りだ、背伸びしたって仕方がない……そう、僕は僕の気持ちを歌にすればいいんだ!』
「やるぞぉ~」フロスティを構え直した彼は、まず手始めに、紙に自分の好きな言葉を並べていくことにした。
Fairy tale
Magic
Twinkle
Shine
Wonder
Miracle
Dream
Wish
Hope
Believe
Light
Breeze
Flow
Color
Warmth
Compassion
Harmony
Tenderness
Kindness
Heart
Freedom
Life…
そのとき一抹の閃きがある。そうだ! せっかくだからタイトルの文字並びと頭文字を、自分の名前『E.L.L.I.S』にしてみよう! そうすれば僕が創ったって証になるかも――。そうして彼はそれぞれのアルファベットから始まる単語を書き出していった。
E : Eternal, Everlasting, Even, Endless, Enter, Every
L : Life, Let, Light, Liberty, Lullaby, Lie, Luna, Love
I : I, Imagine, Imagination, Innocent, Ignite, Infinity, Iridescent, Inspire
S : Shine, Song, Sing, Serenity, Star
これらを組み合わせて文章を作ろうとしても、上手くいかない。そこでひと続きの文にするのではなく、二つに分けることした。すると『L.I.S』はすぐに浮かんだ。
「Let It Shine(輝かせよう)だ!」
そして『E.L』の候補として以下の三つが残った。
Eternal Love! Let It Shine!(永遠の愛! 輝かせ!)
Eternal Light! Let It Shine!(永遠の光! 輝かせ!)
Every Life! Let It Shine!(全ての命! 輝かせ!)
それらを何度も何度も口ずさんだところで、ふっとメロディーが下りてくる。
「Every life~♪ Let it shine~♪」パッと花咲く笑顔。「これっ! このメロディーいいかも!」
たまたまEbメジャースケールで歌ったその一節で、タイトルとサビの方向性が決まった。すると次のフレーズもどんどん浮かんでくる。「そしたら次はこうで……次はこう!」結局、一回目のサビはこうなふうにまとまった。
Every life! Let it shine!(全ての命 輝かせ!)
For the earth, the place where magic happens(魔法の生まれる場所、地球のために)
Your soul is the only one(君の魂は世界に一つだけ)
It’s a precious, meaningful, and miraculous thing!(大切で意味のある奇跡的なもの!)
稚拙な文章かもしれない。最後の大仰な形容詞を連続させるところなんか変かもしれない。でもこれが彼の身体に流れ始めたメロディーに、一番マッチする言葉だった。同じように二回目のサビも考えていく。「うーんと……二回目の頭もE.L.L.I.Sにしよっかな♪」そして、こんな感じになった。
Even lost, let imagination sing!(迷ったなら、想像力を歌わせて!)
To the dreams, then our wishes will soon come true(夢に向かって、そしたら僕らの願いはすぐに叶うさ)
Here we are, beyond all stars and time!(全ての星と時を越え、僕らはここにいる!)
What a glorious, magnificent, and marvelous presence!(何て壮麗で壮大な驚くべき存在!)
一回目の流れを汲みつつ、発音タイミングなどを少し早くし、ちゃんとメリハリのある展開になるよう心掛けた。『Even lost, let imagination sing!』は、文章としてはやや曖昧だが、どこか今の自分の心境にも通じるところがあって、なかなか気に入った。
さて、とりあえずサビが完成したところで、続いてAメロに入っていこうとするのだが、そうなるとまた別のメロディーも考えなきゃいけないと言うことで……エリスはしばらく呆然と用紙を見ながら固まった。
仕方がないので何度かサビを歌いながらベースでコード進行してみる。するとすぐに糸口が見えてくる。「そうだ、難しいことは考えずに、Ebメジャーなんだから、平行調のCマイナーに行けばいいんだ」そうしてメロディーのイメージは何となく湧いてきたが、肝心の歌詞が思いつかない。嘆息するエリス。自分の持っている言葉のヴォキャブラリーや、人生経験の少なさを痛感する。
彼は少し目を閉じて、これまでの自分の人生を振り返ってみた。とりわけ思い出されるのは、『男の娘』という存在を知ったあのダニエルとの放課後の時間や、そう生きようと決めた15歳の誕生日前日、そしてもちろん、あのサマー・スクールでの貴重な体験と新しい友達との出会い……。それから高校生になって始めたバンドと、巡り会えた仲間たち……。
そうそう、ニコラとの何気ない遊びの時間や、家族との穏やかな日常の生活も、彼にとってかけがえのない思い出だった。他にも忘れてしまっているたくさんの思い出たち。その一つ一つの出来事が、今の自分へと繋がっているのだと思える……。気づけば彼の頬を、一筋の涙が伝っていた。
そうだ。僕が持っているものが少ないなんてこと、ありはしない。日々、充分すぎるほどの宝物を、この世界から貰っているんだ。だからいつだって『今』が最高なんだ――。涙を拭った彼は、決然と紙にペンを走らせ始め、そこに自分の心を書き写していった。
*
「か、完成だ……」
その日の夜10時5分前。普段ならすでに就寝しているであろう時間にエリスは、まだ自室の机に向かっていた。彼は夕食やシャワーの時間を除いて、その日一日を作曲に費やしたのだ。その甲斐もあって、ようやくAメロ、Bメロ、サビのメロディーと、それぞれの歌詞が完成したのだ。

出来上がった机上のミュージックシートを見下ろして、満足そうに頷いた彼は、そのまま眠気眼を擦りながらベッドに潜り込んで、ベーススタンドにいるフロスティを見る。「今日は手伝ってくれてありがとう、フロスティ。おやすみ」そして部屋は消灯した。
【Every Life! Let It Shine! – Valkyria Sérénade (Lyrics by Ellis Sinclair)】
[Verse1]
I never thought I’d been so blessed and insensitive(思ってもみなかった、自分がこんなにも恵まれていて、そして鈍感だったなんて)
Until recently…even though I’ve always known happiness(つい最近まで……ずっと幸せを知っていたはずなのにね)
As if zero wavered into one, setting off a Big Bang(ゼロが揺らいでイチとなり、ビッグバンを起こすように)
Since I met you, my world has expanded exponentially(君たちに出会ってから、僕の世界は飛躍的に広がった)
[Pre-Chorus1]
Taking in the starlight, and bathing in the moonlight(星明りを浴び、月明りに浸って)
I am reflecting on the meaning of love(愛とは何かを自問している)
What I thought was the answer was always an illusion(答えだと思ったものはいつも幻なんだ)
And yet, tomorrow will come just the same(それでも明日は来る、いつもと変わらずに)
[Chorus1]
Every life! Let it shine!(全ての命 輝かせ!)
For the earth, the place where magic happens(魔法の生まれる場所、地球のために)
Your soul is the only one(君の魂は世界に一つだけ)
It’s a precious, meaningful, and miraculous thing!(大切で意味のある奇跡的なもの!)
Even lost, let imagination sing!(迷ったなら、想像力を歌わせて!)
To the dreams, then our wishes will soon come true(夢に向かって、そしたら僕らの願いはすぐに叶うさ)
Here we are, beyond all stars and time(全ての星と時を越え、僕らはここにいる)
What a glorious, magnificent, and marvelous presence!(何て壮麗で壮大な驚くべき存在!)
[Verse2]
I used to hide myself and try to act normal(以前は自分自身を隠して、普通に振舞おうとしていた)
I lived each day ignoring what I could never define(定義不能なものを無視して、毎日を過ごしていたんだ)
Your voices cut through my silence like a flare of light(君たちの声が閃光のように、僕の静寂を切り裂いた)
Thanks to you, now I feel alive in colors I had never seen(君たちのおかげで僕は今、見たこともない色彩のなかで生きているよ)
[Pre-Chorus2]
Chasing the mystery, and seeking the truth of mind(謎を追って、心の真理を追い求めながら)
I am relearning what it means to love(愛するとはどういうことかを学び直している)
The pain I used to carry now feels somehow softer(かつて抱えていた痛みが、今はなぜか和らいだように感じる)
So I keep waiting for dawn just the same(だから僕は夜明けを待ち続ける、いつものように)
[Chorus2]
The sun rose into the sky!(太陽が天空に昇った!)
Are you ready, best friends? Let’s get to the horizon!(みんな準備はいい?地平線まで飛んでいこう!)
We can breakthrough the dark(僕らは闇を乗り越えられる)
As long as our hearts beat, we never give in!(鼓動がやまぬ限り決して屈しない!)
Hope lies before your eyes(希望は目の前にある)
Even if you forget, someday you’ll remember(たとえ忘れても、いつか思い出せる)
You know how strong you are(君は自分がいかに強いか知っている)
Step by step, follow the path you believe in!(一歩一歩、信じた道を進め!)
[Chorus1]
Every life! Let it shine!(全ての命 輝かせ!)
For the earth, the place where magic happens(魔法の生まれる場所、地球のために)
Your soul is the only one(君の魂は世界に一つだけ)
It’s a precious, meaningful, and miraculous thing!(大切で意味のある奇跡的なもの!)
Even lost, let imagination sing!(迷ったなら、想像力を歌わせて!)
To the dreams, then our wishes will soon come true(夢に向かって、そしたら僕らの願いはすぐに叶うさ)
Here we are, beyond all stars and time(全ての星と時を越え、僕らはここにいる)
What a glorious, magnificent, and marvelous presence!(何て壮麗で壮大な驚くべき存在!)
What a glorious, magnificent, and marvelous…GREAT PRESENCE!!(何て壮麗で壮大な驚くべき……偉大な存在!)
第二十一章 – 青春時代② 高校生活 Ep.9
エリスの高校生活➉ ありふれた情熱、唯一無二の魂
次の月曜日の放課後。さっそく処女作『Every Life! Let It Shine!』の歌詞とメロディーを伝えるため、バンドリーダーのキアラを空き教室へと呼び寄せたエリスは、彼女が怪訝そうな面持ちで受け取った楽譜を読んでいるのを、ソワソワしながら見守っていた。キアラは最初の小節線から最後の終止線までの間に目を二周走らせた後、さっぱりした様子で「いいんじゃない?」と言った。
「ほ、本当っ?」再確認するエリスに対しキアラが親指を立てると、彼は緊張が解けたようにホッと表情を緩ませる。「よかったぁ~」そう安心するエリスを余所に、キアラは内心ではこう思っていた。『な、何じゃこの脳内お花畑のプリティーソングはぁぁぁぁぁぁぁ! 特にサビのムズ痒さったらないぞ!? ホントにメタル曲なのかコレ!?』
「嬉しいなぁ……僕これ、一部は『大好きな君たち』のことを思い浮かべながら書いたんだ」えっ? それって……何てのは嘘! 読んでて途中で気づいちゃったよアタイ! だから子っ恥ずかしいってのもあるし……。「この曲みんなで演奏できたら、きっと素敵だよ!」くぅ~そんな純真無垢な目で見ないでおくれぇ~!
けどまぁ初めから、お嬢に作曲なんかさせたら、こんな感じの『お嬢品』な歌になることは分かってたか……。それに週末だけでここまでの完成品を仕上げてこれんのは大したもんだよ。アタイなんか、結局何もアイディアが浮かばず、作曲理論についてちょこっと勉強しただけで週末終わっちゃったしな――。
「おっし、なら『メタルは熱いうちに打て(Il faut battre le métal pendant qu’il est chaud.)』だ。すぐにヴァルキュリア全員に報告して、バンドアレンジに取り掛かろう!」そうだったね。アタイらはヴァルキュリア・セレナード、『傷ついた魂に捧げる夜の哀歌』だわさ……。だとすればお嬢のセンスは、むしろテーマに沿ってるわけだ――。「紛れもなくこいつが、アタイらの『デビュー曲』だ!」アタイとソユルはギターソロで暴れられれば満足だよ。いろいろ心の声でケチつけてごめん。そしてあんがとな、お嬢!
「うん! これで春祭りに向けて、一歩前進だね!」幸せそうな笑みで応えるエリス。二人の考える『デビュー』の意味は幾分ズレていたが、ともに最高の音楽を創りたいという気持ちだけは合致していた。そのことを分かってか否か、キアラは楽譜を鞄に仕舞ってから突然、プライドをかなぐり捨てた、不躾なお願いをする。
「そ、それで、力作持ってきてもらったばかりで頼みにくいんだけど……もう一曲任せてもいいかい?」エリスが目を丸くしている。「アタイはどうも作曲って苦手でさ。バンドの方向性も一貫したいし、この際作曲はお嬢に一任して、アタイはバンドアレンジに注力するってかたちにした方がいいかなって」珍しくかしこまった態度で告げるキアラに対し、彼は事もなげに返事する。
「そういうことなら任せて!」これには今度、キアラの方が目を丸くする。「ちょうど僕も、歌創るの楽しいなって思ってて、もう何曲かやってみたいなって思ってたの。だから……任せてくれて嬉しいよ!」
「ふぉ、ふぉんとぅおぅくわい?」キアラが、感激したおばあちゃんみたいなクシャクシャな表情で目を細め、「ありがたやぁ~」と両手を合わせた。キャラも口調もブレブレブレブレな彼女。人として軸がブレてる。
「も、もう! そんな大袈裟にしないで!」さすがのエリスも戸惑いを隠せない。「でも、本当にいいの? 正直言って僕の曲、子供っぽいところもあるし……キアラの好みとは違ったでしょ?」図星を突かれたキアラは、手を合わせて俯いたまま固まって、数秒後に手だけを下ろしてこう返した。
「アタイはさ……昔からメタル一筋で、いつかこの世界でテッペン取りたいって思ってるわけだけど、実のところあんまし自信ないんだよね……」えっ、どうして? あんなにメタルが大好きで、ギターも上手なのに! そう思ったエリスだったが、ここでは何も言わなかった。
「何か、音楽やればやるほどさ。自分には『特別な才能なんかない』って思い知らされるっていうか……だってギター上手いやつなんか、世の中にいっぱいいんだよね――ソユルだってそうさ。一つ年下だけど、たぶんテクニックだけ見ればアタイより上だよ。プロの父親に習ったからとか理由は関係なくて、ただ自分が人生掛けて挑んでいる分野なのに、こんなローカルな世界でも『一番』になれないのかって――あぁチクショウ、何を泣いてんだいアタイは――」
初めて見る、キアラの悲しみの涙。エリスはまさかこんな重大な話になるとは思ってもみなかったので、あの自信と威厳に満ちたように見えた彼女でさえ、裏では悩みや葛藤を抱えているのだということを知って、どうしようもなく胸が締め付けられた。
「このお嬢が創った曲見たときだってさ、別にこれがアタイの好みかどうかってことよりも、違う感情が先走って湧いてくるわけよ。『あぁ、同じだけの時間を与えられてたのに、片や何かを完成させるお嬢、片や何も生み出していないアタイ』って具合に――端的に言えば『嫉妬』だね。そういうとき思っちゃうわけさ、『ソユルが二人いた方がいい、お嬢が二人いた方がいい。アタイは一人じゃ何もできない、足手まといだ』って……」
「そんなことないよ!」ここで堪らず口を挟んでしまうエリス。誰も誰かの代わりにはなれないんだ。『Your soul is the only one』って歌詞は、誰にもそんな気持ちになってほしくなくて書いたんだ――。「キアラがいなかったら、ヴァルキュリアは存在しなかったし、僕だって生涯、歌も楽器も作曲もしなかったかもしれない。ソユルちゃんと仲良くなることもなかったかもしれないし、何よりも、たくさんの素敵な音楽に出会うこともなかったはずだよ!」
キアラ「でも『そうなった今』となって、アタイはこのバンドに必要不可欠なメンバーとは言えな――」
エリス「何言ってるの!? キアラは『情熱』って宝物を持ってる、『一番大切なリーダー』じゃないか! 君がいなくなったら、きっと僕たちバラバラになっちゃうよ」
「情熱だけじゃどうしようもないことがあるから悩んでるのさ!」今や立派な口喧嘩へと発展した二人の会話。それぞれの叫び声が、他に誰もいない教室内に響き渡る。「情熱なんか持とうと思えば誰でも持てんのさ! でもその情熱が強ければ強いほど、才能を伴わないときの痛みが大きくなる……たとえ今はまだ小さな差だとしても、才能の違いは後々、埋めようのないほど歴然としてくんのさ! 歌も歌える、ベースもすぐに上達する、作曲も難なくこなせる、オマケに『超絶がつくほどの美人』であるお嬢なんかに、アタイの気持ちが分かんのかい!?」
「全部分かるとは言わないけど、ちゃんと伝わってるよ! 君の痛みが、今確かに僕にも伝わってる――」思わず泣きそうになる彼だったが、それはあまりに卑怯だと思い、ぐっと涙腺のダムを抑え込む。「君がそんなふうに思ってるって、これまで気づかなくてごめん。でも、僕が一人で何でもできるって思ってるなら、誤解だよ! 歌もベースも作曲も、君がいたからできたんだ。君が僕に期待してくれてるのが嬉しかったから、頑張って努力できたんだ。それが『仲間』ってものでしょ!?」
その言葉を聞いて、すぐさま何か反論したかったキアラだったが、複雑な感情がそれを押し留めて、言うべき文句が定まらなかった。仲間? だとしても嫉妬対象から外れるわけじゃないっしょ? いや、むしろ仲間だからこそ辛いって場合もある――。そう分かってはいても、やっぱり嬉しいって感情もあるのが悔しかった。
「ねぇキアラ、君は僕やソユルちゃんに嫉妬してるって言ったけど、相手だって同じかもしれないよ?」そこでエリスは、自分のスマホを取り出して、とあるメッセージアプリのトーク画面を開いてから、それをキアラへと渡す。彼女の目に入ってきたそれは、『初めてStorytimeの合同練習をした日』の夜に交わされた、エリスとソユルのチャットログだった。そこにはこんなやり取りが綴られている。
9/22 20:12
エリス『今日は初の合同練習楽しかったねー! ソユルちゃんの演奏すごくて感動しちゃった! 亡くなった元プロのお父さんの話も、聞かせてくれてありがとう(泣き顔の絵文字)』
20:17
ソユル『ありがとうございます(微笑み絵文字) 音楽とか父の話を気兼ねなくできる友人ができて、私も嬉しいです。ずっとギターは独りで弾いていたので、誰かと合奏するという感覚が新鮮で、良い刺激になってます』
20:18
『これからもみんなで練習して、バンドとしてもっと上手になれたらいいね! あっそう言えば、ソユルちゃんはキアラのギターを見るのが初めてじゃないみたいだったけど、前に二人で練習したりしたの?』
20:20
ソユル『はい、以前キアラさんからウチに遊びに来たいと言われたので、一度お招きしました。そのときギター持ってきてくれました。あれってすごい高価なギターなんですよ。色はキアラさんのイメージにピッタリだったので、笑っちゃいました(笑)』
20:20
エリス『そうだったんだ! でで、ソユルちゃんから見て、キアラの実力はどう? 彼女すんごく上手でしょ?(目が星の絵文字)』
20:23
ソユル『は、はい……(震えた顔文字) 正直嫉妬してます。私、ネットではよく『神童』とか言われたりするんですよ。だから勝手に同年代敵なしだと思い込んでいたのですが、キアラさんと出会って自惚れていたのだと気づかされました。本当、上には上がいるのだと……あれで独学なのがなお驚きです』
20:24
エリス『えへへぇ~、でしょ~?』
20:24
ソユル『何でエリスさんがそんな嬉しそうなんですか!(泣き笑い絵文字)』
20:24
エリス『だって、僕の自慢の友達だからぁ~』
ポタッ、ポタッ。スマホの画面に落ちる涙。あぁクソ……こんなん見せるなんて、ず、ずるいなぁお嬢は……。
「僕たちは『仲間』だってこと、忘れないでねキアラ? 僕たちの力は君の力、君の力は僕たちの力なんだ。君の言う通り、情熱はありふれたものかもしれないけど、僕たちが生み出す音、奏でる『魂』は唯一無二なんだ――」彼女の肩を摩りながら、そっとスマホを取り返したエリスは、そのまま「ねぇChatGPT、音楽創って。テーマは『身近な人への嫉妬心』」とスマホに語り掛ける。
すると一瞬のうちに「はい。タイトルは『Green Eyes』です。グリーンは嫉妬の色とされ、『be green with envy(嫉妬で緑色になる)』という表現が世界中の言語で見られます。またシェイクスピアの戯曲『オセロ』に登場する『green-eyed monster(緑の目の怪物)」という慣用句もあります」という前置きを言った後で、スマホが流暢に歌い始める。
You smile like the sun, they all turn your way(君が太陽のように微笑み、皆が君の方へ顔を向ける)
I wear my envy like perfume(私は嫉妬を香水のようにまとう)
Sickly sweet, it fills the room(甘ったるい香りが、部屋を満たす)
You don’t even know the war I fight(君は私がどんな戦いをしているかさえ知らない)
A mirror cracked where I can’t breathe(息もできぬほど割れた鏡)
I’m not a villain, but I can’t pretend(私は悪人ではないが、偽ることはできない)
This poison doesn’t taste like a friend(この毒は友達の味がしない)
I’m the monster that I made(私は自分が作った怪物だ)
You don’t see what I see(君は私が見ているものを見ていない)
So you’re everything I wish I’d be(だから君は私がなりたいと思う全てだ)
And still I wonder silently—(それでも私は静かに考える—)
Do you ever wish you were me?(君は私になりたかったと思うことはある?)
I hate my green eyes(私はこの緑の目が嫌い)
You hold a knife to my throat without even realizing it(あなたは気づかずに私の喉にナイフを突きつけている)
Then just gouge out my eyes(ならいっそ、私の目を抉り出してくれ)
Then will I be able to be blind and free?(そうすれば、私は盲目の自由になれるかな?)
「ね? AIさんにも歌は創れるよ。でもそれで、僕たち人間が不必要になるわけじゃないよね?」歌の途中でエリスが伝えたいことを明確にする。「誰だって一人じゃできないことがある。だから仲間になるんだ」
「お、お嬢……」キアラが涙を拭って苦笑いする。「AIが曲創れんのは知ってるから、別にデモンストレーションしなくてよかったのに――何だい、この酷い曲は?」
「そ、それもそうだね……」彼も苦笑して同意する。とっさに思いつきでやったことだったが、まさかここまで暗い曲が出力されるとは想定外だったのだ。「聴いてて辛くなるし、止めるね――」音楽が『and free』のところで途切れて、心地よい静寂が戻ってくる。スマホを仕舞った彼は「ごめん、君を元気づけたかったんだけど、大失敗しちゃった」と笑う。
「いや、お嬢の気持ちは伝わったし、アタイも大分目が覚めたよ」キアラが机によしかかって天井を仰ぐ。「いや~アタイもどうかしてたね……あんたらみたいな『仲間』がいるってこと自体、とんでもない幸運なのに、勝手に自分と比較して、劣等感感じてたなんて……」そこで教室の時計を見たキアラは、『そろそろ帰るか』と思ったようで、机上の鞄を持ち上げてからエリスの方に向き直る。
「さっきの『作曲はお嬢に一任する』って話だけど、一旦保留で」そう言われたエリスは、また目を丸くする。「当初の予定通り、アタイも一曲書いてくるよ。苦手なこと一つ一つ潰していかないと、たぶん劣等感って消えないと思うから」その理由に納得した彼は、「うん! 誰にも遠慮しないで、キアラはキアラらしい曲を創ってね! なんなら君が歌ったっていいし!」と応える。
本来ならここでキアラが「はいよ! ならアタイもう行くわ! 今日はいろいろあんがとね、お嬢」と教室を後にし、エリスが「うん! バイバーイ!」と手を振って、日常の何気ない別れ際になるはずなのだが、このときはばかりは違うことが起きた。
「ったく……お嬢は優しいね。本当に、危ういくらいに……」キアラが前髪を手櫛しながら顔を伏せる。「あんまし他人に優しくしすぎない方がいいかもね……」
「えっ? どうし――」
エリスが彼女の発言の真意を尋ねようとした瞬間、口が何かに塞がれて、知らない甘い香りが鼻を抜けていく。その感覚に覚えがあった彼は、一瞬の混乱を経て状況を悟る。ふぇっ? キアラと僕、今キスして――。そう思ったときには、もう二人の唇は離れていた。ほんの一瞬のキス……とても頭の理解が追い付かなかった。
「こういうことになるから――」それだけ言って教室を走り去っていくキアラ。エリスは今しがた友人の唾液で濡れた自身の唇を指で押さえながら、速まっていく胸の動悸に抗っていた。えっ? えぇっ!? えぇぇぇぇぇぇぇっ!? これが彼にとって事実上、『女の子とのファースト・キス』だった。
番外編⑤ 意外と乙女なキアラちゃん
その日、帰宅したキアラは自室に駆け込んでから、鞄を床に置いてベッドにダイブした。そして枕をポコポコ殴りながら、何とも言えないうめき声を上げる。「うぅわぅうぅ~」心のなかではこう思っていた。
うわぁぁぁぁぁぁ、アタイ何してんのさぁぁぁぁぁぁ! あんなことして、次どんな顔してお嬢に会えってーのさぁぁぁぁぁぁぁ! 恋愛沙汰とかバンドでは御法度でしょう!? ただでさえミスって本心ブチまけちゃって、危うく解散の危機だったところを回避できたばかりなのにぃぃぃぃぃぃぃ!
いやいやそもそもとしてだ! アタイはお嬢が好きなのか? 恋愛的な意味で? いやそんなことないっしょ! アタイ恋とかするキャラじゃないし! 今までそんな気持ちになったことないし! なのにさっき自分からキスしちまったよ! 身体が勝手に動いちまったよ! えっ? 怖いっ! 自分もお嬢も怖いっ!
この際だ、アタイが本当にお嬢に恋してるのか、はっきりさせておこう――。「ヘイ、ChatGPT。『人が誰かに恋するための条件は?』」
「はい。このような結果が出ました」
うんと何なにぃ? 人は以下のような条件を持った人に好意を持ちやすい?
①身体的魅力
・顔や声、匂い、しぐさなどの「生理的に惹かれるもの」
・清潔感、雰囲気、服装、表情など
まぁ、こりゃクリアだね。お嬢に対して生理的な嫌悪感を持つのは不可能だわさ。
② 心の距離感(親しさ)
・自分にしか見せない顔がある
・弱さや本音を見せてくれる
・自分を理解しようとする姿勢を感じる
まぁ大体クリアか。アタイら3年以上の付き合いだし。
③ 共通点・価値観の一致
・趣味や世界観が近い
・笑いのツボが似てる
・考え方が共鳴する
く、クリア……。
④ 相手からの好意
・「自分を好きでいてくれる人」に惹かれやすい(返報性)
・ふとした視線、優しさ、言葉に特別感を感じると心が動く
……。
これらの外的要因に加え、以下のような内的要因が重なると恋に落ちやすくなります。
① タイミングや心の準備
・心が満たされているとき or 逆に孤独なとき
・何かに挑戦していて、支えが欲しいとき
・自己肯定感が上がってるとき
あーもうクリア! 分かったよ分かった! アタイはお嬢が好きだよ! 認めるよ! そりゃ、あんだけ可愛くて優しくて自分に懐いてくれて、自分の好きなものも好きになってくれて、頼りがいあって仲間思いで、完璧超人で純粋な男子。いくらアタイが乙女度低めのワイルド系ズボラ女子だとしても好きになるて!
もうこうなると、むしろお嬢の将来の方が心配になるな……。アタイほどの『アロマンティック』気質な人間にさえ理性を失わせるわけだし……あの子フェロモンでも出してんのかい?
それにまだ、お嬢の唇の感触が残ってやがる……。さっきの謎の嫉妬ソングの歌詞『This poison doesn’t taste like a friend(この毒は友達の味がしない)』が別の意味で耳に残っちまってる……。
そのとき、「コンコンッ」と誰かが部屋のドアをノックして、特にドアを開けることもなくこう告げる。「おぉ~いキアラやぁ~い。夕食の時間じゃよ~」それは彼女のおじいちゃんの声だった。それを聞いた彼女はベッドから這い上がって、自室を後にする。
『まぁいいや。今はお嬢のことは忘れて、メシ食ってシャワー浴びて、曲作りに専念しよう。そうさ! 見てなよみんな! きっとアタイらしさを詰め込んだ、バリバリ最強No.1なメタル・チューンにしてやんよ!』
コメント